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続き その2
日本は負けたのである。全世界の憤怒と非難との真只中に負けたのである。日本がこれまであえてして来た数限りない無理非道を考える時、彼らの怒るのは全く当然なのである。今私は世界全人類の気晴らしの一つとして死んで行くのである。これで世界人類の気持ちが少しでも静まればよい。それは、将来の日本に幸福の種を遺すことなのである。
私は何ら死に値する悪をした事はない。悪を為したのは他の人々である。しかし今の場合弁解は成立しない。江戸の敵を長崎で討たれたのであるが、全世界から見れば彼らも私も同じく日本人である。彼らの責任を私がとって死ぬことは、一見大きな不合理のように見えるが、かかる不合理は過去において日本人がいやというほど他国人に強いて来た事であるから、あえて不服はいい得ないのである。彼らの眼に留まった私が不運とするより他、苦情のもって行きどころはないのである。日本の軍隊のために犠牲になったと思えば死に切れないが、日本国民全体の罪と非難とを一身に浴びて死ぬと思えば腹も立たない。笑って死んで行ける。
今度の事件においても、最も態度の卑しかったのは陸軍の将校連に多かった。これに比すれば海軍の将校連は遥かに立派であった。
―中略(裁判の事など)―
我が国民は今や大きな反省をなしつつあるのだと思う。その反省が、今の逆境が、将来の明るい日本のために大きな役割を果たすであろう。それを見得ずして死ぬのは残念であるが致し方が無い。日本はあらゆる面において、社会的、歴史的、政治的、思想的、人道的の試練と発達とが足らなかった。万事が我が他より勝れたりと考えさせた我々の指導者、ただそれらの指導者の存在を許してきた日本国民の頭脳に責任が有った。
かってのごとき、我に都合の悪しきもの、意に添わぬものは凡て悪なりとして、ただ武力をもって排斥せんとした態度の行き着くべき結果は明白になった。今こそ凡ての武力腕力を捨てて。あらゆるものを正しく認識し、吟味し、価値判断をする事が必要なのである。これが真の発展を我が国に来す所以の道である。
―中略(チャンギ捕虜収容所の生活、刑執行を目前に控えた心境、軍人の偽善性等―
しかしこれらの軍人を非難する前に、かかる軍人の存在を許容し、また養って来た事を知らねばならない。結局の責任は日本国民全体の知能程度の浅かったことにあるのである。知能程度の低い事は結局歴史の浅い事だ。二千六百余年の歴史があると言うかも知れないが、内容の貧弱にして長いばかりが自慢にならない。近世社会としての訓練と経験が足りなかったといっても、今ではもう非国民として軍部からお叱りを受けないであろう。
私の学生時代の一見反逆的として見えた生活も、全くこの軍閥的傾向への無批判的追従に対する反発に外ならなかったのである。
私の軍隊生活において、将校連が例の通り大言壮語していた。私が婉曲ながらその思想に反対すると「お前は自由主義者だ」と一言の下に撥ね付けられたものだ。軍人社会で見られた罪悪は、枚挙すれば限りがない。それらは凡て忘却しよう。彼らもやはり日本人なのであるから。しかし、一ついっておきたい事は彼らは全国民の前で腹を切る気持ちで謝罪し、余生を社会奉仕のために捧げなければならないことである。
天皇の名を最も濫用、悪用したのも軍人であった。
―以下略(父母の事、親戚の事、故郷の事、恩師の事等)
以上
| 中川 守男 | 2014/01/03 12:02 PM |
安倍首相の靖国参拝のニュースに接し、次のような感想を書きとめました。ながすぎるコメントですが、送ります。
安倍総理の靖国参拝にアメリカが失望したという真意は、靖国問題に対する本質問題に対する物でなく、東アジアにおける中国の拡大政策にどのように対応していくのかの国際政治を考えれば、こんな子どもじみた行動に失望したということでしょう。「中国の拡大政策に対し国債政治戦略を考えれば、中国に日本は戦前の政治に復帰しようとしているでしょう、韓国、東南アジアのみなさん、それに対抗するためにやっているのです。」との口実を与えた。国際政治のKYぶりに失望したと言うことでしょう。
私も、先の戦争の敗戦の責任があいまいにされてきたことに問題の本質があるという指摘に同感です。責任と言う言葉が誤解を生んでいるのかもしれません、何故あの戦争に突き進んだかの歴史考察を為していないのです。個人の責任を断罪するのでは有りません。東京裁判という勝者の裁判でなく、それは間違いだったのですから、日本人が歴史検証をしなければならないのです。
靖国神社参拝(平成25年12月26日)に想う
12月26日朝刊、北陸中日新聞の文化欄「一首のものがたり」にシンガポールでBC戦犯として処刑された戦没学生・木村久夫氏の一首
音もなくなくわれより去りしものなれど
書きて偲びぬ明日という字を
が載せられていました。
この記事を読んだその日のテレビニュースで、安倍首相の靖国神社参拝を知った。
偶然と言うにしてはあまりにも象徴的な天の声と感じ、書棚から埃に埋もれていた岩波文庫「きけわだつみのこえ」(日本戦没学生の手記)を探し出し、木村久夫さんのところを読み直した。一部を、パソコンに書き写しながら心を込めて読み直した《岩波文庫「きけわだつみのこえ」(日本戦没学生の手記)1982年版》。
明日という日の無いことを自覚しつつ日本の明日を全霊を込めて、哲学書田邊元先生の「哲学通論」の余白に書いた遺書を、後世の我々はどのように受け止めなければならないのか。
安倍首相の談話「平和を願い国のために戦場で殉じた方々の冥福を祈り、御霊に心からの哀悼の意を表しリーダーとして手を合わす。これは世界共通のリーダーの姿勢だろう」。この言葉に、私は御霊に対しての、御都合主義的な慇懃無礼な美辞麗句であり、冒涜を感じるのです。
木村久夫 京都大学経済学部学生。昭和17年10月入営。21年5月23日シンガポール、チャンギー刑務所において戦犯として処刑された(BC級戦犯)陸軍上等兵。28歳。
(註)チャンギ―刑務所は、イギリスがシンガポールを支配していた時からの刑務所。日本軍が占領してからは、捕虜収容所として使い、終戦後は、連合国が日本の捕虜収容所として使った。連合国の捕虜の扱いが日本軍のそれに対する報復とばかり、国際法に反する虐待的な取扱いで有ったと言われている。シンガポール刑務所は、現在博物館になっている。この刑務所を、旅行に訪れる方は旅行気分でなく、正義とは何かの確かな眼で見学して欲しい。
(以下本文より抜粋)
死の数日前偶然にこの書(田邊元・哲学通論)を手に入れた。死ぬまでにもう一度これを読んで死に就こうと考えた。四,五年前私の書斎で一読した時のことを思い出しながら、「コンクリート」の寝台の上で遥かなる故郷、我が来し方を想いながら、死の影を浴びながら、数日後には断頭台の露と消える身でありながら、私の情熱はやはり学の道であったことを最後にもう一度想い出すのである。
この書に向かっているとどこからともなく湧き出ずる楽しさがある。明日は絞首台の露と消ゆるやも知れない身でありながら、尽きざる興味に惹きつかれて、本書の三回目の読書に取り掛かる。昭和二十一年四月二二日。(注:五月二三日処刑執行された)
―中略―
日本は負けたのである。全世界の憤怒と非難との真只中に負けたのである。日本がこれまであえてして来た数限りない無理非道を考える時、彼らの怒るのは全く当然なのである。今私は世界全人類の気晴らしの一つとして死んで行くのである。これで世界人類の気持ちが少しでも静まればよい。それは、将来の日本に幸福の種を遺すことなのである。
私は何ら死に値する悪をした事はない。悪を為したのは他の人々である。しかし今の場合弁解は成立しない。江戸の敵を長崎で討たれたのであるが、全世界から見れば彼らも私も同じく日本人である。彼らの責任を私がとって死ぬことは、一見大きな不合理のように見えるが、かかる不合理は過去において日本人がいやというほど他国人に強いて来た事であるから、あえて不服はいい得ないのである。彼らの眼に留まった私が不運とするより他
| 中川 守男 | 2014/01/03 11:57 AM |
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