2008.11.15 Saturday
若泉敬氏とは?
若泉敬氏の「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」を読みはじめました。
手に取るとズシッと重い本です。
沖縄返還交渉の際に佐藤栄作首相の密使として尽力された方です。
若泉敬氏につきましては手嶋龍一氏の素晴らしい著述がありますので 「手嶋龍一、ぶどう酒かさもなくば銃弾」より若泉敬氏について引用させていただきます。
[若泉敬から三時間に及ぶドイツへの国際電話があったのは一九九六年の早春のことだった。病魔が命を奪うか、自裁のうちに斃れるか。いずれにしても死は目睫の間にあった。
若泉敬はその浩瀚な著作の最後にわずかに洩らした真情を奔流のように語り続けたのだった。
「戦史上稀に見る激戦が戦われた沖縄攻防戦で散華した彼我二十数万柱の御霊が私によびかけてくる声にしだいに抗しきれなくなったのです。英霊たちの声は、日米両国が再びあのような戦争を行ってはならないこと、日米両国の指導者が世界に対する責任と役割を毅然として果たす政治的英知を持つべきことを訴えています。
その声はまた、国家と国際社会が安定した秩序を享受するための基本である安全保障に真摯に取り組むことをいつか怠り、世界の平和と安定に貢献することを躊躇する一方で、物質金銭万能主義に走って、“愚者の楽園”を作り、日本の歴史に燦然と輝いていたはずの志を見失い、右往左往している日本の現状を嘆いています。少なくとも私の心耳には、その声が、痛切な響きとして聞こえてくるのです」.......
永い逡巡の末に若泉敬を突き動かし、ついに外交上の最高機密を含めて交渉の全容を明らかにすべく筆を執らせて動機はなんだったのか。今日の日本という国への諌言であり、日米同盟への叛乱ではなかったのか。
主権国家の基本たる安全保障に真摯に取り組む志をいつの頃からか摩滅させてしまった祖国、日本への深い絶望があったのだと思う。戦後の日本は日米同盟にその安全保障を委ねることで、軽武装、経済重視の国家として繁栄を享受してきた。その一方で国家の安全や国際社会の安定に自主的に関わる志をいつしか喪ってしまったのだった。............
若泉敬は戦後の日本にとって日米同盟こそ安全保障の礎であり、両国の同盟を磐石のものにしておくためにも、沖縄の返還はなんとしても果たさなければならない懸案だったと考えた。だが、皮肉なことに両国の喉に突き刺さった領土問題という棘が抜き去られたことで人々は安寧に身を委ねてしまった。
今日の惨状をもたらした本質的な問題は何だと考えますか、という質問に若泉敬は永い沈黙の後、きっぱりと言い切った。
本土決戦を回避して降伏したことですーーーーーー。
15歳で敗戦を迎えた若泉敬はそれまで生徒たちに本土決戦の覚悟を鼓吹していた教師たちをひとりひとり訪ね歩いてなぜ本土決戦を放擲したんかと質している。だが誰ひとり若泉少年の問いかけに答えられる教師などいなかったという。
若泉敬にとっては、硫黄島と沖縄の人々だけが本土決戦を敢行して散華しあるいは焦土のなかで敗戦をむかえた人々だった。それゆえ、このふたつの島に暮らす人々こそ、戦後日本の出発を担う十分な資格を持つと考え、深い敬意を表していたのだった。
若泉敬の英語版序文こそ「戦後日本への遺書」にほかならなかった。
「領土返還交渉という権謀の国際政治外交について証言するこの散文的著作への英語序文として、私は世の美しい花を供えて戦死者の霊を慰め、そして静かに祈るという話を述べたいと思う。
夏の夜半にたった一度だけ、白色の光を燦然と放って開花し、短時間に凋んでいく大輪の花がある。その名を日本語では月下美人という。強い芳香を放つその神秘的な短命の花は、月光を受けながらそれ以上に青白く輝き、観る人をしてその名の如く妖精にも似た淡い幻想の世界に誘いこむといわれる。
夏の一夜の夢と言うには、余りに清楚で儚い。月下美人は、メキシコを原産地とするサボテン科の一種で常緑多年草であり、愛好家によって観賞用として鉢植えされる。中南米の熱帯地以外に自生しているところは少ないのだが、太平洋に浮かぶ硫黄島には自然群生している。この硫黄島は、東京の南方一二五〇キロの小さな離島である。」
手に取るとズシッと重い本です。
沖縄返還交渉の際に佐藤栄作首相の密使として尽力された方です。
若泉敬氏につきましては手嶋龍一氏の素晴らしい著述がありますので 「手嶋龍一、ぶどう酒かさもなくば銃弾」より若泉敬氏について引用させていただきます。
[若泉敬から三時間に及ぶドイツへの国際電話があったのは一九九六年の早春のことだった。病魔が命を奪うか、自裁のうちに斃れるか。いずれにしても死は目睫の間にあった。
若泉敬はその浩瀚な著作の最後にわずかに洩らした真情を奔流のように語り続けたのだった。
「戦史上稀に見る激戦が戦われた沖縄攻防戦で散華した彼我二十数万柱の御霊が私によびかけてくる声にしだいに抗しきれなくなったのです。英霊たちの声は、日米両国が再びあのような戦争を行ってはならないこと、日米両国の指導者が世界に対する責任と役割を毅然として果たす政治的英知を持つべきことを訴えています。
その声はまた、国家と国際社会が安定した秩序を享受するための基本である安全保障に真摯に取り組むことをいつか怠り、世界の平和と安定に貢献することを躊躇する一方で、物質金銭万能主義に走って、“愚者の楽園”を作り、日本の歴史に燦然と輝いていたはずの志を見失い、右往左往している日本の現状を嘆いています。少なくとも私の心耳には、その声が、痛切な響きとして聞こえてくるのです」.......
永い逡巡の末に若泉敬を突き動かし、ついに外交上の最高機密を含めて交渉の全容を明らかにすべく筆を執らせて動機はなんだったのか。今日の日本という国への諌言であり、日米同盟への叛乱ではなかったのか。
主権国家の基本たる安全保障に真摯に取り組む志をいつの頃からか摩滅させてしまった祖国、日本への深い絶望があったのだと思う。戦後の日本は日米同盟にその安全保障を委ねることで、軽武装、経済重視の国家として繁栄を享受してきた。その一方で国家の安全や国際社会の安定に自主的に関わる志をいつしか喪ってしまったのだった。............
若泉敬は戦後の日本にとって日米同盟こそ安全保障の礎であり、両国の同盟を磐石のものにしておくためにも、沖縄の返還はなんとしても果たさなければならない懸案だったと考えた。だが、皮肉なことに両国の喉に突き刺さった領土問題という棘が抜き去られたことで人々は安寧に身を委ねてしまった。
今日の惨状をもたらした本質的な問題は何だと考えますか、という質問に若泉敬は永い沈黙の後、きっぱりと言い切った。
本土決戦を回避して降伏したことですーーーーーー。
15歳で敗戦を迎えた若泉敬はそれまで生徒たちに本土決戦の覚悟を鼓吹していた教師たちをひとりひとり訪ね歩いてなぜ本土決戦を放擲したんかと質している。だが誰ひとり若泉少年の問いかけに答えられる教師などいなかったという。
若泉敬にとっては、硫黄島と沖縄の人々だけが本土決戦を敢行して散華しあるいは焦土のなかで敗戦をむかえた人々だった。それゆえ、このふたつの島に暮らす人々こそ、戦後日本の出発を担う十分な資格を持つと考え、深い敬意を表していたのだった。
若泉敬の英語版序文こそ「戦後日本への遺書」にほかならなかった。
「領土返還交渉という権謀の国際政治外交について証言するこの散文的著作への英語序文として、私は世の美しい花を供えて戦死者の霊を慰め、そして静かに祈るという話を述べたいと思う。
夏の夜半にたった一度だけ、白色の光を燦然と放って開花し、短時間に凋んでいく大輪の花がある。その名を日本語では月下美人という。強い芳香を放つその神秘的な短命の花は、月光を受けながらそれ以上に青白く輝き、観る人をしてその名の如く妖精にも似た淡い幻想の世界に誘いこむといわれる。
夏の一夜の夢と言うには、余りに清楚で儚い。月下美人は、メキシコを原産地とするサボテン科の一種で常緑多年草であり、愛好家によって観賞用として鉢植えされる。中南米の熱帯地以外に自生しているところは少ないのだが、太平洋に浮かぶ硫黄島には自然群生している。この硫黄島は、東京の南方一二五〇キロの小さな離島である。」